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砂のお城の見張り番

ペペロンターノ朗読いずっち


<Photo:ペペロンターノ>


振り向けばいつも現れるその扉
遠いあの日以来ずっと静かに佇んでいる
一度も開くことないまま

開けられなかったのか?
それとも開けようとしなかったのか?
気づかなかったのか?
それとも気づこうとしなかったのか?

今も寄せては返す悔恨のさざ波・・・
これは私自身への戒めなのかもしれない

今回は寓話風の物語です


※音声ファイルの登載許可を頂いております。


遠い昔の扉の向こうの物語・・・。

 
人気のない海辺の石段に、みすぼらしい成りをした若者が座っていました。その横顔は端正で美しかったけれども、彼は自分の顔を一度も見たことがありませんでした。
 
来る日も来る日も、若者はその石段から、海の方を見つめていました。その視線の先にあるもの、それは海ではなく、小さな小さな砂のお城でした。そこでは、美しいお姫様がたった一人で住んでいたのです。時折、お城の窓辺に佇むお姫様の横顔を見るのが、若者の生きがいでした。
 
砂のお城は、波が到達するギリギリの辺りに建っていて、時々強い波が打ち寄せて来ると崩れてしまうのではないかと思えるほどでした。どうしてそんな危険な所にお城は建っているのでしょう?
 
若者は、誰かに命じられたのか、それとも自らそれを使命と思ったのか、お城が波にさらわれてしまわぬよう、毎日見張っていたのです。彼は、自分がお城の見張り番をしていることに誇りを持っていました。もしもお姫様に危険が迫った時は、僕が助けに行ってあげよう。お姫様は僕にとって運命の人なのだからと、そう心に誓っていたのでした。
 
 
ある雨の夜のこと、いつもは穏やかな海がすこぶる荒れ、見たことのないような激しい波が浜辺に打ち付けていました。波は、今にも砂のお城をさらって行ってしまいそうです。中のお姫様は無事なのでしょうか? 若者は心配で心配でたまりません。すぐにでもお姫様を助けに行きたい気持ちで一杯です。
 
居た堪れない気持ちになりながらも、若者にはどうすることも出来きません。なぜなら、若者の足首には鉄の足枷がはめられていて、石の隙間から地中深くまで、重い鎖でつながれていたからです。どんなに力一杯引っ張っても、鎖が地中から抜けることはありませんでした。若者は諦めるしかなかったのです。
 
お城に容赦なく打ち付ける波が、泣き叫ぶ羊に襲いかかる血に飢えた狼の群れのように見えてきました。また、弱り切ったイルカに群がる獰猛なシャチの大群のようにも見えてきました。若者はそれを見て、生まれて初めて震え上がりました。怖いという感情を覚えたのです。
 
波と風の絶え間ない攻撃に、ひたすら耐え続けていた砂のお城でしたが、やがて下の方から崩れ始め、ついにはドラゴンのような大口に飲み込まれたかと思うと、跡形もなく消えて無くなりました
 
若者はその一部始終を、左手をぎゅっと握りしめたまま、ただ見守ることしか出来ませんでした。一瞬暗がりの中に、初めてお姫様の美しい全身を見たような気がしました。しかし、彼はどういうわけか、それは自分の見間違いに違いないと思うことにしたのです。

 
それから、どれだけ時が流れたのでしょう。砂のお城が建っていたその場所を、今夜も若者は涙を流しながら見つめていました」
「ああ、お姫様はもういなくなってしまった。きっと波に浚われて死んでしまったんだ。でも、どうしようもなかったじゃないか。僕に一体何が出来たというのだろう? あんなに荒れ狂った波じゃ、たとえ僕が行ったってお姫様を助けることは出来なかったさ」
 
若者はそう思うことで、自分自身を慰めていたのです。
 
しばらくの間、膝を抱えたまま目を閉じて俯いていると、すぐそばで声がしました。
「久しぶりね。砂のお城の見張り番さん」
 
驚いて声のした方を向くと、すぐ隣にとてもきれいな女の人が腰掛けていました。何故か衣服を身に纏っていません。女の人はこっちに顔を向けず、砂のお城があった所を暗い眼差しで眺めています。その横顔には見覚えがありました。そうです。お城に住んでいたお姫様です。若者の驚きようと言ったらありません。死んだと思っていたお姫様が生きていたのですから。若者は嬉しくなって、生まれて初めてお姫様に話しかけました。
「お姫様、生きていたのですね。良かった。本当に良かった。あの夜は、砂のお城を守りに行けなくてごめんなさい。僕の足を見てください。ほら、こうして重い鉄の足枷でつながれていて、どうしても助けに行くことが出来なかったのです」
 
お姫様は表情を変えることなく、ただ黙ったままでいました。若者は思い切って言いました。
「良かったら、僕とお友達になっていただけませんか?」
 
お姫様は、満天の星空を見上げてこう呟きました。
「あなたはずっと左手を握ったままね。どうしてなの? 開いてごらんなさいな」
 
若者は握りしめた手を開きたくなかったのですが、自分の意思とは関係なく勝手に指が開いてゆくではありませんか。ほどなく、指先の伸びた手の平に、一本の鍵が現れました。
「あなた、それが何だか知っていたのでしょう?」
「え? こ、これは・・・」
 
若者は、見てはいけないものを見るような眼差しで、手の平の鍵を見つめています。手が震え始めました。
「そう・・・、やっぱりその程度だったのね」
「え? その程度ですって?」
「あなたはここから動けないのではなく、動こうとしないだけ。あなた、自分の顔を見たことがあって?」
 
お姫様は冷たくそう言い放つと、一度も振り返ることなく海に向かって歩いて行きました。若者がずっと握りしめていたもの。それは、彼自身の足首にはめられた足枷の鍵だったのです。
「お、お姫様、待って。ぼ、僕は・・・」
 
若者がそう言うや否や、お姫様の腰から下は見る見るうちに魚の尾ひれに変わって行きました。そして、一度だけあの夜のような高い波が押し寄せて来たかと思うと、お姫様は、それに身を捧げるように海へと消えて行きました。砂のお城が崩れ去った後、暗がりの中に見たお姫様の後ろ姿と同じでした。
 
今夜は月が出ていたので、水しぶきに煌めく、この世のものとは思えないほどの美しい後ろ姿を、若者は瞳の奥に焼き付けることが出来ました。それは、後悔という感情を覚えた瞬間でもありました。

 
海が静けさを取り戻し、若者がもう一度手の平に目をやると、足枷の鍵は砂へと変わり、指の間からサラサラと零れ落ちて行くのでした
 
悲しい最後の一幕を照らし続けていた月でしたが、やがて群青色の厚い雲に覆われ、舞台から見渡せる全てのものは、漆黒の闇の中へと沈んで行きました。

Fin