家出少女とマネキン
<作:ペペロンターノ/朗読:いずっち>
<Photo&Retouch:ペペロンターノ>
登校前、ひょんなことから母親と喧嘩になった少女、舞。
学校へ行かず、気の向くままに繁華街を彷徨い歩きます。
敏感な年頃の女子中学生が体験する一夜限りのプチ家出。
あり得ない不思議な体験を通して、親子の情愛を描いてみました。
年齢性別、そして?でトーンとキャラを使い分けるいずっちさんの
台詞回しにも注目です。
劇中に出て来るブランド名R&Lは、いずっちさんが
『あじわい倶楽部』の中で朗読したオリジナルストーリーの
ヒロイン名とアイテムから思いつきました。
放送時には、朗読が終わった後にバイオリニスト川井郁子さんの楽曲
「モーニング・トゥ・ザ・フューチャー(Piano Ver.)をリクエストして
流していただきました。
ラストシーンのイメージにピッタリの曲なので、ご興味があれば
探して聴いてみてください。
尚、番組で朗読していただいた放送ヴァージョンとは別に
少し長いオリジナル・ロング・ヴァージョンも続けて登載しております。
併せて読んでいただけると幸いです。
(朗読は放送ヴァージョンのみです)
※音声ファイルの登載許可を頂いております。
<放送ヴァージョン>
「お母さんなんか、大っ嫌い!」 ある朝、お母さんと喧嘩になった舞は、そう叫ぶと家を飛び出して行きました。彼女は中学二年生になったばかり。意地悪なクラスメイトとまた同じクラスになってしまい、憂鬱な毎日を過ごしていたのです。 「学校を辞めてアイドルになる!」なんてことを言ってみたものの、お母さんが許してくれるはずありません。舞は家を出たまま学校には行かず、なんと電車に乗って、幾駅も離れた繁華街へと足をのばしたのでした。 「お母さんったら、アタシの気持ちを全然分かってくれない。昔っからずっとそう。どうせアタシなんて・・・」 制服はちょっとマズかったかな? まあいいや。お巡りさんに捕まったら捕まったらでいい。その時は不良になってやる! そう思いながら街をぶらぶら歩いていると、レンガ風の洒落たブティックのショーウインドーに、鮮やかなレモンカラーのワンピースを身に着けたマネキン人形が立っていました。 一目で心を奪われた舞は、引き寄せられるように近づいて行き、舐めるようにそのワンピースを眺めるのでした。よく見ると「R&L」のロゴが刺繍されています。レモンカラーで有名な人気ブランドではないですか。 「良いなあ。このマネキンさん、ハリウッド女優みたい。アタシもこんな素敵な洋服着てみたいなぁ」 とは言うものの、中学生の舞にはサイズが合いそうにありません。それに、とてもじゃないけれど、高価過ぎて、お小遣いやお年玉を何年貯めても買えそうにありません。 「アタシじゃ、一生無理かな・・・」 そう諦めかけた時、誰かが話し掛けてきました。 「この洋服、気に入って?」 周囲を見回しても誰も居ません。すると、もう一度声がしました。 「あなた、このワンピースを着てみたいんでしょう?」 声の主は目の前のマネキン人形でした。目を丸くする舞に、マネキンは話し続けます。 「いいわよ、着せてあげても。今から24時間、体を取り換えっこしない?」 夢を見ているのかと舞は思いました。 「ほんと? ほんとにそれをアタシに着せてくれるの?」 「ええ、本当よ。あなたは私になって、このステージで、通りを行き交う人たちの視線を一身に浴びるの。その代わり、私はあなたになって、自由を満喫させてもらうわ」 舞の気持ちはすでに固まりつつありましたが、一つだけ質問しました。 「24時間立ったままで疲れないかしら?」 マネキンは無表情で答えます。 「疲れやしないわ。だってマネキンだもの」 「・・・そ、そっか」と舌を出す舞。 「分かった。一日だけなら」 「契約成立ね。じゃあいい? 息を止めて、私の目をじっと見つめてごらんなさい」 舞は言われた通り息を止め、恐る恐るマネキンの目を見つめました。しばらくすると、目の前が一瞬真っ暗になったかと思うと、やがて少しずつ明るくなって行きました。すると、目の前には舞自身が立っているではありませんか。そうです。舞はマネキンになって、ショーウインドーの中に立っていたのでした。 舞になったマネキンはにっこり微笑むと、「じゃあ、また明日ね」と一言言い残して、その場を去って行きました。舞は声も出せず、人ごみの中に消えて行く舞自身の後ろ姿を、ただ見送るしかありませんでした。 しばらくして、マネキンの体にも慣れてきた舞は、あらためて、自分が眩しいほどに華やかな衣装を身に着けていることを実感するのでした。そして、通りを行き交う人々が、時々ショーウインドーの中の自分に目を向け、感嘆の表情を浮かべるのに気を良くするのでした。 「ああ、なんて素敵なの! みんながアタシを見てる。まるでアイドルになった気分よ!」 シンデレラ気取りの舞は、すっかりご満悦。いっそ家にも帰らず、学校にも行かず、ずっとマネキンのまま、このステージに立ち続けてもいいとさえ思うのでした。 一方、舞の体を借りたマネキンは、自由を手にした喜びに胸をときめかせ、外の世界を満喫していました。ショッピングモールの中を探検したり、クレーンゲームに挑戦したり、人気のスイーツを食べたりと、普通の女の子がする普通のことを、ただ普通に楽しむのでした。 いつしかビルの谷間に陽が傾き、街灯が点灯し始めた頃のこと。若くハンサムな男性から声を掛けられ、彼女は迷うことなく彼に着いて行ってしまいました。しばらく二人は夜のデートを楽しみました。ところが、ほどなくパトロール中の警察官に呼び止められ、補導されてしまったのです。 すっかり日も暮れ、ブティック前の通りは昼の仮面を脱ぎ捨て、夜の顔を見せ始めていました。やがて、街路灯の時計が夜の八時を指すと、店内のライトは消され、目の前の幕がガラガラと音を立てながら下りて行きました。お店の営業時間が終わり、シャッターが下ろされたのです。ステージには一筋の光もなく、舞の世界は、ぶ厚い瞼の中に閉じ込められてしまいました。 「何も見えない。どうしよう? アタシ、明日の朝まで、闇の中こうしているのかしら?」 不思議なことに、不安で一杯の舞の心の中に、走馬灯のように次から次へと、様々なことが浮かんでは消え、消えては浮かんで来るのでした。最近何となくよそよそしくなった親友のこと、何かと舞を目の敵にしてくる意地悪なクラスメイトのこと、病気がちなお父さんのこと、そして、幼い頃お父さんと自分を置いて、家を出て行った本当のお母さんのこと・・・。 そう、今のお母さんは、舞の生みの母親ではなかったのです。 「どっちのお母さんも・・・、嫌い・・・」 昼間は数え切れないほどの視線を浴びて、あんなにウキウキした気分だったのに、今、闇の中独りきりでいると、不安で不安でどうしようもなくなってくる。お父さんは入院中だし、お母さんは朝から晩まで仕事の掛け持ちで、夜はお父さんのお見舞い。舞にはちっとも構ってくれやしない。今だって、アタシのことなんか絶対心配していない。やっぱり帰りたくない。でも・・・・。明日マネキンさんが戻らなかったらどうしよう? アタシ、このまま一生マネキンのまんまでいるの? そうこう考えている内に、舞はいつしか深い眠りへと落ちて行くのでした。 夜が明け、シャッター越しに、朝の喧騒が微かに伝わってきました。やがて、お店のシャッターが開くと、舞はまるで生まれて初めて朝を迎えるような新鮮な気持ちになりました。 さあ、ファッションショー二日目のスタートです。ところが、昨日感じたような高揚感をどうしても得ることが出来ません。それもそのはず。舞の頭の中は、マネキンが時間までに戻って来てくれるかどうかで一杯だったのですから。約束の時間まで、あと五分・・・。 「もし、マネキンさんが帰って来なかったら・・・?」 不安が頂点に達したその時でした。見慣れた制服の見慣れた顔の女の子が、特に慌てることもなく、ショーウインドーへと近づいて来ました。そして、マネキン姿の舞に顔を寄せるなり、こう言いました。 「待った? 本当はね、私ここに戻りたくなかったの。昨夜、カッコいい男の人にナンパされちゃってデートしてたいら、お巡りさんに捕まっちゃった。それで交番に連れて行かれてさ、その後お母さんがやって来て・・・」 舞は声を荒立てて言い放ちました。 「アンタ何考えてんのよ! ここでアタシ、どれほど不安だったか!」 いつもなら、ここで涙を流して気持ちをアピールするところですが、マネキンの舞にはそれも叶いません。ニセモノの舞は、ちょっと申し訳なさそうにこう言いました。 「ごめんね、心配させて。今は時間がないわ。元の体に戻りましょう。さあ、息を止めて私の目を見つめなさい」 二人は、ガラス越しに互いの目を見つめ合いました。気が付くと舞の目の前には、レモンカラーのワンピースを着たマネキン人形が立っていました。 マネキンは、舞の心に静かに語り掛けてきました。昨日どこで何をしていたのか、こと細やかに話してくれたのです。迎えに来たお母さんにこっぴどく叱られたことも。 「アナタのママったら、私の顔を見るなり、いきなり引っ叩いてきたのよ」 「うそ? アタシ、今まで一度もお母さんに叩かれたことなんかなかったわ」 戸惑いの表情を浮かべる舞に、マネキンは話し続けます。 「本当よ。でもね、ほっぺは痛かったけれど、心は痛くなかったわ。それどころか・・・」 そこで、マネキンは言葉を噤んでしまいました。それ以上何も話さないと悟った舞は、「さよなら」を言ってその場を立ち去ろうとしました。すると、マネキンは思い出したように、再び話し始めるのでした。 「一つ謝らないといけないことがあるの。実はね、あなたのお財布の中身、ほとんど使っちゃったのよ」 舞はちょっとムッとしたけれど、マネキンがチラッと舌を見せたような気がして、思わず吹き出しそうになりました。 「いいよ、そんなこと。お金がなかったら、今時楽しめないもんね。アタシんち貧乏だけど、お年玉は何年も貯めているんだよ。沢山貯金して、いつかこの服買いに来るね」 「さあ、それはどうかしら。明日になったらもう売れてるかもね」 「そっか・・・。仕方ないね。でもいい。丸一日女優気分を味わえたんだから。ありがとう、マネキンさん」 「こっちこそありがとう、舞ちゃん。自由って良いものね。今度は誰と入れ替わろうかしら?」 「アタシはもう遠慮しておく。そうだ、一つ聞いていい?」 「何かしら?」 「もし24時間過ぎてしまっていたら、アタシ、どうなったの?」 「分かっているくせに。マ・ネ・キ・ン」 舞は苦笑いしながらマネキンに別れを告げると、レモンカラーのワンピースに後ろ髪を引かれつつも、ショーウインドーを後にしました。そして、一つ目の角を曲がると、戻りたくない詰らない日常へと、また戻って行くのでした。 それから時は流れ、舞は美しい大人のレディへと成長していました。病気がちだったお父さんの体も、すっかり良くなっていました。ところ運命とは残酷なもので、お母さんが車の事故に巻き込まれ、亡くなっていたのです。 その悲しみが少しずつ和らいできたある朝のこと、お父さんがカラフルな包みを舞に手渡してこう言いました。 「舞、この包みを開けてごらん。実はね、お母さんが亡くなる少し前に、買っておいたものらしいんだよ」 「お母さんから私に? 何で今頃? お父さんも何で今まで黙っていたのよ?」 「そ、それは・・・。まあいいじゃないか。今日はお前の二十歳の誕生日だろ。この日のために取っておいたんだ。それより、早く開けてみないか」 舞はゆっくり丁寧に中身を取り出すと、いきなり大きな声を上げました。 「えーっ! これって、あのマネキンさんが着ていたレモンカラーのワンピースだわ。忘れるもんですか! だって、私一晩中・・・」 「一晩中? その洋服がどうしたって?」 「・・・う、ううん、何でもない。うわあっ、懐かしい。お父さんは知らないでしょうけど、すっごい人気ブランドなのよ。もう、ビックリするほど高いんだからね。絶対私に似合うはずだよ。ちょっと待ってて。試着して来るから」 舞は自分の部屋に行き、しばらくしてワンピースを身に纏い、再び戻って来ました。 「ジャーン! わたくし舞は、本日女優デビューいたしまーす!」 「おおっ、素敵じゃないか! ホントに女優みたいだぞ。まるでお前じゃないみたいだ」 舞は顔ムッとさせてこう言いました。 「私じゃないみたいって、どういう意味よ? 普段の私は素敵じゃないってこと? ねぇ、お父さんってばっ!」 二人は顔を見合わせて大笑いしました。 「よし、明日のデートはこれで決まりね!」 「デ、デートってお前・・・、彼氏でもできたのか?」 「ナ・イ・ショ。でも、何でお母さん、この服のこと知っていたんだろう? 偶然かしら? それに、あれから六年も経っているのに・・・」 お父さんは、不思議がる舞の横顔を、目を潤ませながら眺め続けるのでした。 さて、あのブティックのオーナーが誰だったのか、皆さんには想像がつきますか? 実は、舞を生んでくれた最初のお母さんだったのです。舞はそのことを知りません。 事情はさておき、彼女が幼い娘を残したまま家を出た後、お父さんは二番目のお母さんと結婚しました。ところが、お父さんが体を壊してしまったこともあり、家計はとても苦しいものとなっていたのです。 あの「家出事件」の翌日、二番目のお母さんは、お世話になった交番にお礼を伝えに行った帰り、たまたまあのブティックのマネキン人形に目を留めたのでした。見た途端、いつか成長した娘がこの服を着たら、どんなに似合うだろうと想像し、顔をほころばせました。 けれども、家庭の事情を考えると、とても手の届く値段ではなく、諦めるしかなかったのです。 レモンカラーのワンピース。実は、舞の生みのお母さんから、つい先日お父さんが預かっていたものだったのです。「理由は聞かず、<亡くなったお母さんからの贈り物>だということにしておいて欲しい」と頼まれました。二人のお母さんの想いを感じ取ったお父さんは、その事実を娘には伏せておこうと決めたのでした。 舞は、二番目のお母さんからの贈り物だと信じ切っています。それでいいじゃないですか。大切なのは、彼女が二人のお母さんからの温かい愛情に包まれながら、この十数年間を生きてきたということ。その贈り物は、二人のお母さんからの愛の証なのですから。 ところで、生みのお母さんは、どうやってワンピースのことを知ったのでしょう? あの「入れ替わり劇」の一部始終を、店内の何処からか見ていたのでしょうか? それとも、マネキンからあの日の出来事を教えてもらったのでしょうか? まさか、お母さん自身がマネキン人形だったなんてことは、さすがに考えすぎかもしれませんね。 それから、しばらく経ったある日のこと、舞は自慢のワンピースに身を包み、久しぶりにあのブティックに行ってみようと思い立ちました。 心弾ませ、お店に辿り着いたものの、レンガ風の様相は貼り替えられ、ショーウインドーの中には、見知らぬマネキン人形が立っていました。看板を見上げると、お店の名前も変わっていました。 呆然と立ち尽くす舞の心の水面に、何故か二人のお母さんの笑顔が、重なるように浮かんでくるのでした。 |
<オリジナル・ロング・ヴァージョン>
「お母さんなんか、大っ嫌い!」 ある朝、些細なことでお母さんと喧嘩になった舞は、そう叫ぶとお弁当も持たずに家を飛び出して行きました。彼女は中学二年生になったばかり。クラス替えして、やっと意地悪なクラスメイトと別れられると喜んだのも束の間、また同じクラスになってしまいました。前のクラスではちょっぴりイジメられっ子だった舞にとって、それはとても辛い運命でした。 朝ご飯を食べている最中、「学校を辞めてアイドルになる!」なんてことを言ってみたものの、そんなこと、お母さんが許してくれるはずありません。お母さんと言い合いになってしまった舞は、家を出たまま学校には行かず、なんと電車に乗って、幾駅も離れた繁華街へと足をのばしたのでした。 「お母さんったら、アタシの気持ちを全然分かってくれない。学校でアタシがどれだけイヤな目に合っているか。昔っからそうだった。そうよね、どうせアタシなんて・・・」 制服はちょっとマズかったかな? まあいいや。学校に行くよりはずっとマシ。お巡りさんに捕まったら捕まったらでいい。その時は不良になってやる! そんなことを考えながら街をぶらぶら歩いていると、レンガ風の洒落たブティックのショーウインドーに、それはそれは鮮やかなレモンカラーのワンピースを身に着けたマネキン人形が立っていました。 一目で心を奪われた舞は、引き寄せられるようにショーウインドーの前まで近づいて行き、舐めるようにそのワンピースを眺めるのでした。よく見ると「R&L」のロゴが刺繍されています。レモンカラーで有名な人気ブランドではないですか! 「良いなあ。このマネキンさん、ハリウッド女優みたい。アタシもこんな素敵な洋服着てみたいなぁ。これ着て通りを歩いたら、意地悪なアイツらだって、アタシのことを貧乏くさいって馬鹿にしたりなんかしないわ」 とは言うものの、中学生の舞にはサイズが合いそうにありません。それに、とてもじゃないけれど、高価過ぎて手の届くものではなさそうです。お小遣いやお年玉を何年貯めても買えそうにありません。 「アタシじゃ、一生無理かな・・・」 そう諦めかけた時です。誰かが話し掛けてきました。 「このお洋服、気に入って?」 どこから声がしたのだろうと、周囲を見回しても誰も居ません。するともう一度声がしました。 「あなたに言ってるのよ。私の着ているこのワンピースを着てみたいんでしょう?」 なんと、声の主はショーウインドーの中に立っているマネキン人形だったのです。目を丸くして立ちすくむ舞に、マネキンはさらに話し続けます。 「いいわよ、着せてあげても。今から24時間、つまり明日のこの時間まで、体を取り換えっこしない?」 夢を見ているのかと舞は思いました。信じられない気持ちだったし、ちょっと怖かったけれど、しばらく考えた後、思い切ってマネキンにこう言いました。 「ほんとに? ほんとにこの素敵なワンピースをアタシに着せてくれるの?」 「ええ、本当よ。今からあなたは私になって、このステージで通りを行き交う人たちの視線を一身に浴びるの。その代わり、私はあなたになって、明日のこの時間まで自由を満喫させてもらうわ」 舞の気持ちはすでに固まりつつありましたが、一つだけ質問しました。 「24時間立ったままで疲れないかしら?」 マネキンは無表情で答えます。 「疲れやしないわ。だってマネキンだもの」 「・・・そ、そっか」と舌を出す舞。 「分かったわ。24時間体を取り換えっこしよう」 「契約成立ね。じゃあいい? 息を止めて、私の目をじっと見つめてごらんなさい」 舞は言われた通り息を止め、恐る恐るマネキンの目を見つめました。何秒、何十秒そうしていたのでしょう。しばらくすると、目の前が一瞬真っ暗になったかと思うと、やがて少しずつ明るくなっていきました。すると、驚くことに目の前には舞自身が立っているではありませんか。そうです。舞はマネキン人形になって、ショーウインドーの中に立っていたのでした。 舞になったマネキンはにっこり微笑むと、「じゃあ、また明日ね」とたった一言言い残して、その場を去って行きました。「きっと戻ってきてね」、マネキンになった舞はそう叫ぼうとしましたが声が出るはずもなく、人ごみの中に消えて行く舞自身の後ろ姿を、ただ見送るしかありませんでした。 しばらくして、マネキンの体にも慣れてきた舞は、あらためて、自分が眩しいほどに華やかな衣装を身に着けていることを実感するのでした。そして、通りを行き交う人々が、時々ショーウインドーの中の自分に目を向け、感嘆の表情を浮かべるのに気を良くするのでした。 「ああ、なんて素敵なの! みんながアタシのことを立ち止まって見て行く。まるでアイドルになったような気分よ!」 シンデレラ気取りの舞はすっかりご満悦。いっそ家にも帰らず、学校にも行かず、ずっとマネキンのまま、このステージに立ち続けてもいいとさえ思うのでした。 一方、舞の体を借りたマネキンは、自由を手にした喜びに胸をときめかせ、制服を着たまま、賑わう外の世界を満喫していました。オープンしたてのショッピングモールの中を探検したり、クレーンゲームに挑戦したり、ストリートシンガーの歌声に耳を傾けたり、幸いお財布には幾らかお金が入っていたので、人気のスイーツを食べたりと、普通の女の子がする普通のことを、ただ普通に楽しむのでした。 いつしかビルの谷間に陽が傾き、街灯が点灯し始めた頃のこと。若くハンサムな男性から声を掛けられ、舞の体を借りたマネキンは、迷うことなく彼に着いて行ってしまいました。それからしばらく二人は夜のデートを楽しみました。ところが、そんな大人の時間も束の間、ほどなくパトロール中の警察官に呼び止められ、未成年ということで補導されてしまったのです。 すっかり日も暮れ、ブティック前の通りは昼の仮面を脱ぎ捨て、夜の顔を見せ始めていました。人通りもさらに増え、いよいよショータイムは最高潮!という時、街路灯の時計が夜の八時を指しました。そしてしばらくすると、店内のライトは消され、目の前の幕がガラガラと音を立てながら下りて行きました。お店の営業時間が終わり、シャッターが下ろされたのです。ついさっきまで煌めいていたステージには一筋の光もなく、舞の世界は、ぶ厚い瞼の中に閉じ込められてしまいました。 「何も見えない。どうしよう? アタシ、明日の朝まで闇の中、独りでこうしているのかしら?」 不思議なことに、不安で一杯の舞の心の中に、走馬灯のように次から次へと、様々なことが浮かんでは消え、消えてはまた浮かんで来るのでした。最近どことなくよそよそしくなった親友のこと、何かと舞を目の敵にしてくる意地悪なクラスメイトのこと、ここ数年病気がちなお父さんのこと、そして、幼かった頃、お父さんと自分を置いて、家を出て行った本当のお母さんのこと・・・。そうです。今のお母さんは、舞の生みの母親ではなかったのです。 「どっちのお母さんも・・・、嫌い・・・」 昼間は数え切れないほどの視線を浴びて、あんなにウキウキした気分だったのに、こうして闇の中にたった独り身を置いていると、不安で不安でどうしようもなくなってくる。お父さんは働きにも出られず入院しているし、お母さんは朝から晩まで仕事の掛け持ちで、夜はお父さんのお見舞い。舞にはちっとも構ってくれやしない。今だって、アタシのことなんか絶対心配していない。やっぱり帰りたくない。でも・・・・。明日マネキンさんが戻らなかったらどうしよう? アタシ、このまま一生マネキンのまんまでいるの? そうこう考えている内に、舞はいつしか深い眠りへと落ちて行くのでした。 夜が明け、シャッター越しに、朝の喧騒が微かに伝わってきました。さらに時間が流れ、お店のシャッターが開くと、舞はまるで生まれて初めて朝を迎えるような新鮮な気持ちになりました。 さあ、ファッションショー二日目のスタートです。通りには人が行き交い始め、ショーウインドーには再び多くの視線が注がれています。ところが、いつまで経っても、昨日感じたような高揚感をどうしても得ることが出来ません。それもそのはず。舞の頭の中は、マネキンが無事時間までに戻って来てくれるかどうかで一杯だったのですから。 約束の時間まで、あと五分・・・。 「もし、マネキンさんが帰って来なかったら・・・?」 不安が頂点に達したその時でした。見慣れた制服の見慣れた顔の女の子が、特に慌てることもなく、まるでマネキンのようなクールな表情を浮かべながら、舞の立つショーウインドーへと近づいて来ました。そして、マネキン姿の舞に顔を寄せるなり、こう言いました。 「お待たせ。待った? 本当はね、私ここに戻りたくなかったの。昨夜カッコいい男の人にナンパされちゃってさ。そのまま二人で何処かへ行っちゃおうかという時に、お巡りさんに捕まっちゃった。バッカみたい。それで交番に連れていかれて、その後お母さんがやって来て・・・」 そう言い終わらないうちに、舞は声を荒立てて言い放ちました。 「アンタ何考えてんのよ! ここでアタシ、どれほど不安だったか!」 いつもなら、ここで涙を流して気持ちをアピールするところですが、マネキンになった舞にはそれも叶いません。ニセモノの舞はその気持ちを察したのか、心なしか申し訳なさそうにこう言いました。 「ごめんね、心配させて。今は時間がないわ。取り敢えず元の体に戻りましょう。さあ、息を止めて私の目を見つめなさい」 二人は昨日と同じように、ガラス越しに互いの目を見つめ合いました。やがて、目の前が真っ暗になったかと思うと、すぐに少しずつ明るくなって行きました。ショーウインドーの中には、昨日見た時と全く同じ姿で、マネキン人形が立っていました。一晩中自分がこの姿でいたことがまるで信じられないほどに、相変わらず女優さながらのオーラを放っていました。 マネキンは無表情のまま、舞の心に静かに語り掛けてきました。昨日どこで誰と何をしていたのかを、こと細やかに話してくれたのです。補導された後、交番に迎えに来たお母さんに、人目もはばからずこっぴどく叱られたことも。 「アナタのママったら、私の顔を見るなり、いきなり引っ叩いてきたのよ」 「うそ? アタシ、今まで一度もお母さんに叩かれたことなんかなかったわ」 戸惑いの表情を浮かべる舞に、マネキンは話し続けます。 「本当よ。私だって人から叩かれたのって初めて。当たり前よね、マネキンなんだから。でもね、ほっぺは痛かったけれど、心は痛くなかったわ。それどころか・・・」 そこで、マネキンは言葉を噤んでしまいました。それ以上何も話さないと悟った舞は、一言「さよなら」を言ってその場を立ち去ろうとしました。すると、マネキンは思い出したように、再び話し始めるのでした。 「一つ謝らないといけないことがあるの。実はね、あなたのお財布の中身、ほとんど使っちゃったのよ」 舞はちょっとムッとしたけれど、マネキンがチラッと舌を見せたような気がして、思わず吹き出しそうになりまし。 「いいよ、そんなこと。自由になれてもお金がなかったら、今時楽しめないもんね。アタシんち貧乏だけど、お年玉は小学校の頃から貯めているんだよ。大人になってもっとお金が貯まったら、この服買いに来るね」 「さあ、それはどうかしら。超人気ブランドだし、明日になったらもう売れているかもね」 つい意地悪なことを言ってしまったマネキンでしたが、舞はもうムッとすることはありませんでした。 「そっか・・・。仕方ないね。でもいい。丸一日シンデレラ気分を味わえたんだから。ありがとう、マネキンさん」 「こっちこそありがとう、舞ちゃん。自由って良いものね。今度は誰と入れ替わろうかしら?」 「アタシはもう遠慮しておく。そうだ、一つ聞いていい?」 「何かしら?」 「もし24時間過ぎてしまっていたら、アタシ、どうなったの?」 「分かっているくせに」 「え?」 「マ・ネ・キ・ン」 舞は苦笑いしながらマネキンに別れを告げると、レモンカラーのワンピースに後ろ髪を引かれつつも、ショーウインドーを後にしました。そして、一つ目の角を曲がると、戻りたくない詰まらない日常へと、また戻って行くのでし。 それから数年の時が流れ、舞は見違えるほど美しい大人のレディへと成長していました。病気がちだったお父さんの体もすっかり良くなって、仕事の方も順調にこなしていました。ところが運命とは残酷なもので、お母さんが仕事の帰りに車の事故に巻き込まれて、亡くなっていたのです。 舞とお父さんは、何日も何日も悲しみに暮れていました。そして、その悲しみが少しずつ和らいできたある朝のこと、お父さんがカラフルな包みを舞に手渡してこう言いました。 「舞、この包みを開けてごらん」 「え? 何これ?」 「実はね、お母さんが亡くなる少し前に、買っておいたものらしいんだよ」 「お母さんから私に? 何で今頃? お父さんも何で今まで黙っていたのよ?」 「そ、それは・・・。まあいいじゃないか。今日はお前の二十歳の誕生日だろ。だから、この日のために取っておいたんだ。それより、早く開けてみないか」 「う、うん」 舞はゆっくり丁寧に中身を取り出すと、いきなり大きな声を上げました。 「えーっ! これって、あのマネキンさんが着ていたレモンカラーのワンピースだわ。忘れるもんですか! だって、私一晩中・・・」 「一晩中? その洋服が一晩中どうしたって?」 「・・・う、ううん。何でもない。うわあっ、懐かしい。やっぱり素敵! お父さんは知らないでしょうけど、R&Lってすっごい人気ブランドなのよ。もう、ビックリするほど高いんだからね。絶対私に似合うはずだよ。分かってるんだから!」 舞は興奮を抑えきれません。 「舞、お前、マネキンとか懐かしいとか、さっきから何をわけの分からないこと言っているんだ?」 お父さんは首を傾げています。 「ちょっと待ってて。試着して来るからね」 そう言うと、舞は自分の部屋に行き、しばらくしてワンピースを身に纏い、再びお父さんの居る部屋へ戻って来ました。 「ジャーン! わたくし舞は、本日女優デビューいたしまーす!」 「おおっ、素敵じゃないか! 綺麗だ! ホントに女優みたいだぞ。まるでお前じゃないみたいだ」 舞は顔をムッとさせてこう言いました。 「私じゃないみたいって、ちょっとどういう意味よ? 普段の私は素敵でも綺麗でもないってこと? ねぇ、お父さんってばっ!」 頬を膨らませたのも束の間、二人は顔を見合わせて大笑いしました。 「よし、明日のデートはこれできまりね!」 「デ、デートってお前・・・、彼氏でもできたのか?」 「ナ・イ・ショ。・・・でも何でだろう? 何でお母さん、この洋服のこと知っていたんだろう? 偶然かしら? それに、あれから六年も経って、どうして今頃・・・?」 お父さんは、不思議がる舞の横顔を、目を潤ませながら眺め続けるのでした。 さて、このお話には、まだもう少し続きがあるのです。 舞が一晩過ごしたブティックの店主が誰だったのか、皆さんには想像がつきますか? 偶然なのか運命なのか、驚くことに、舞を生んでくれた最初のお母さんだったのです。舞はそのことを知るはずもありません。 事情はさておき、彼女が幼い舞を残したまま家を出て行った後、お父さんは今のお母さんと結婚しました。ところが、お父さんが体を壊してしまったこともあり、家計はとても苦しいものとなっていたのです。 あの「家出事件」の翌日、二番目のお母さんは、昨夜娘がお世話になった交番に改めてお礼を伝えに行った帰り、たまたまあのブティックのマネキン人形に目を留めたのでした。勿論、あのレモンカラーのワンピースを着たままです。それを見た途端、いつか成長した娘がこの服を着たら、どんなに似合うだろうと想像し、顔をほころばせました。 けれども、当時の家庭の事情を考えると、とても手の届く値段ではありません。お金を貯め続ければいつかは買えるかもしれませんが、きっと数日のうちに売れてしまうことでしょう。諦めるしかなかったのです。 レモンカラーのワンピース、実は、舞を生んでくれたお母さんからの贈り物だったのです。つい先日、お父さんが預かっていました。預かる際、「理由は聞かず、<亡くなったお母さんからの贈り物>だということにしておいて欲しい」と頼まれました。二人のお母さんの想いを感じ取ったお父さんは、その事実を娘には伏せておこうと決めたのでした。 勿論、舞は二番目のお母さんからの贈り物だと信じ切っています。亡くなったお母さんからの最後で最高のプレゼントなのだと。 それでいいじゃないですか。大切なのは、彼女が二人のお母さんからの温かい愛情に包まれながら、この数十年間を生きてきたということ。その贈り物は、二人のお母さんからの舞への愛の証なのですから。 ところで、生みのお母さんは、どうやってワンピースのことを知ったのでしょう? あの「入れ替わり劇」の一部始終を、店内の何処からかこっそり見ていたのでしょうか? それとも、マネキンからあの日の出来事を教えてもらったのでしょうか? まさか、お母さん自身がマネキン人形だったなんてことは、さすがに考えすぎかもしれませんね。 それからしばらく経ったある日のこと、舞は自慢のレモンカラーのワンピースに身に纏い、久しぶりにあのブティックに行ってみようと思い立ちました。今度はお客として。 心弾ませ、お店に辿り着いたものの、レンガ風の様相は貼り替えられ、ショーウインドーの中には、見知らぬマネキン人形が立っていました。看板を見上げると、お店の名前も別のものに変わっていました。 呆然と立ち尽くす舞の心の水面に、何故か二人のお母さんの笑顔が、重なるように浮かんでくるのでした。 |
Fin