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狩野舞子選手引退 ~背番号7、未来へのラストスパイク~
 
 画面に大きくに映し出された背番号7。未来への希望と過ぎ去った日々への郷愁…。テレビ放送の三日前、会場で込み上げていた万感の思いが再び蘇ってきた瞬間だった。

 201853日、一人のアスリートが表舞台から去った。プロバレーボール選手、狩野舞子。バレーボールファンでなくとも、名前くらいはご存知の方も多いだろう。何しろ、ロンドン五輪の銅メダリストなのだから。最後に見たその背中を私は忘れない。そして、その時ほど背番号というものに想いを馳せたことはない。
 
 毎年、大阪で開催される伝統あるバレーボール大会「黒鷲旗」。今年で
67回目を迎えたゴールデンウィークの恒例行事だ。プロアマ問わずバレーボーラ―にとって、シーズンのラストを締めくくる大会ということもあり、テッペンを目指す意気込みは並々ならぬものがある。一方、この大会を最後にコートから去る選手たちも多い。私も幾度となく、去り行く戦士たちのラストシーンを客席から見守り、胸を熱くした。普段特に注目していなかった選手(ご勘弁)も、その時ばかりは特別な輝きを放って目に映る。そんな神聖なるラストステージに狩野選手が立った。それなりに長い筆者のバレーボール観戦歴の中でも、とりわけ思い入れの強い彼女が、ついに最後の舞台に立つ日が来たのだ。大会の数日前、引退報道を目にした時の衝撃は言葉では言い表せない。そう遠くないうちに来るかもしれないと覚悟はしていたものの、やはり辛い。寂しい。

 彼女のプロフィールについては省略するが、類まれなる才能ととてつもないスター性に恵まれていたことは、バレーボールファンならば誰もが知るところである。人気、実力共に申し分ない彼女だったが、現役時代を通して怪我という試練と戦ってきた苦労人である。華々しいデビュー以来、絶好調の時も結果を出せず苦しんでいる時も、私は試合を通してずっと見続けてきたように思う。もしかすると、本人にとっては辛い時期の方が長かったのではないだろうか? それでも彼女は常に明るく前向きだ。ブログ(更新が止まって久しいが)でも、一切マイナスなことは語らなかった。スタメンどころか、ベンチ入りすらしていない試合も幾度も観てきた。コートの外から、彼女ならではの通る美声で仲間たちにエールを送る姿は印象的だった。そんな彼女が目の前を通り過ぎる時、ふと寂し気な表情を浮かべるのを何度か目にした。そんな時、遠ざかる背中に向かって心の中でエールを送ったものだ。「Forza Maiko !」。

 大会三日目。予選敗退が決まって迎えた彼女の所属するPFUブルーキャッツ、シーズン最後の闘い。ピンチサーバーの彼女の出番は限られている。基本的に1セットにつきコートインは一度。得点につながらなければ即交代だ。クライマックスは2セット目に訪れた。彼女にトスが上がったのだ。彼女自身、「まさか(自分にトスが)上がってくると思わなくてビックリした」と語ったほどの奇跡のラストスパイク。ニュース記事で「万感のラストスパイク」という表現が使われていた。まさにそれだ。残念ながら得点には至らなかったが、絶対的な瞬間を運よく正面でカメラに収めることができた。勿論スポーツ観戦というは、応援しながら直接目に焼き付けるに越したことはない。かけがえのないその瞬間を、肉眼ではなくファインダーを通してしまった。それでも後悔はない。少なくとも肉眼以上に表情が大きくハッキリ見られたのだから。まさに永遠の一瞬。二度とはない一生の宝物だ。大切なシーンを写真に収めようとすることの善し悪しは別として、写真で重要なのは、その時どんな思いでシャッターを切ったかに尽きる。それをあらためて思い知った瞬間でもあった。勝利の後の胴上げシーン。「走馬灯のように」という表現があるが、こういう時に使われるものなのだろうか。たった数秒間に、11年間という歳月の中、生で目にしてきた様々なシーンが瞬時に思い返されて目頭が熱くなった。

 アスリートたちは、勝つために全てを捧げて戦う。戦い終えるまでは勝つことこそ全てなのだと思う。しかし、終わってみればどうだろうか? トップアスリートの心境など、私のような素人には到底計り知りえない。それでも私はこう思いたい。信じたい。全てを出し切り振り返った時、「結果」に至る「過程」は、「結果」そのものを遥かに凌駕しているのだということを。決してきれいごとではない。勝っても負けても、後悔がなければ勝者なのだ。少なくとも私が見た彼女の背中は、やりきったという達成感と誇りに満ちていた。悲壮感はない。顔の表情や言葉だけでは表現しきれない偽りのない生き様がそこにはあった。

 彼女ほどの人気選手ともなれば、今後、各方面から声が掛かることも考えられる。例えば低迷していると言われるビーチバレー界、はたまた芸能方面など…。私個人としては、あまり周囲の声に左右されることなく、最良の「我が道」を突き進んでほしい。現役時代よりもさらに輝かしい未来に向かって…。う~ん、ちょっとお節介だったか?

 会見を終えて体育館から出てきた彼女の表情は、明るく清々しさに満ちていた。泣き出した五月の空の下、バスの中から傘の花たちに笑顔で手を振る彼女。バスの背中が遠ざかると共に、めくらずにいた日めくりカレンダーが、桜の花弁のように次々と風に舞ってゆく。それらは一片たりとも地面に散り落ちたりはしない。希望の空へと高く高く舞い上がって行くのだ。きっと大丈夫。心からお疲れさま。


追記:背番号7。かつて私が応援していた「最強セッター」竹下佳江選手(現在は監督)と同じ番号だ。彼女は言葉以上に背中で語る素晴らしいアスリートだった。狩野選手も、そんな背中で語れる偉大な選手の仲間入りをしたに違いない。

2018.5.12


2014年3月2日 京都府長岡京市西山公園体育館にて