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#2「路地の向こう」に想ふ

 「しらない路地をみつけたりすると……。その路地を抜けた向こうに全然しらない街があるような気がして、つい、いってみたくなるんだ…」

 わたしの大好きな漫画家、諸星大二郎氏の短編『影の街』の冒頭部分である。路地…、そう、どこにでもある路地。皆さんはこの言葉を聞いて、どういうイメージが浮かぶだろうか? 路地と言っても様々だ。住宅街の数十センチの隙間の私有地から、自転車や原付バイクが走り抜けられそうな幅のあるものまで。また、趣は随分変わるが京都祇園の花街や西陣の町屋などにも魅力的な路地(因みに京都では「ろおじ」と読むらしい)が数多く息づいている。もっともこちらの方は、郷愁というよりは風情と言った方がしっくりくるかもしれないが。子供時代を昭和と共に過ごした筆者にとって、そんな路地という言葉の響きに触れ想像を膨らませるだけで、魂を「ここでない何処か」、「今じゃないいつか」へと持って行かれそうになる…と、そこまで言うと大袈裟だが、寂れた路地に出くわす度何とも言えない郷愁感に囚われてしまうのだ。

 さて、前述の『影の街』であるが、主人公の少年は、見知らぬ路地の奥から何かに導かれるかのように足を踏み入れ、「その向こう側の世界」で夢とも現実とも分からない不思議な体験をする。悪夢のような時間の果てに見たものは何だったのか? というのがごく簡単なあらすじ。物語のラスト、恐ろしい体験をしたにも関わらず、少年は性懲りもなく見知らぬ路地に足を踏み入れてしまうのだが、その気持ち、大人の筆者にも分かる気がする。いや、大人だから分かるのかもしれない。それは冒険心? 現実逃避? はたまた、ただのレトロ趣味? その感覚の正体が何なのかはさておき(たぶん全部だろう)、路地というものは得体の知れない魅力=魔力に溢れた空間なのだ。夕暮れ時の昭和の街並みならば、演出効果百倍であろう。いや、もしかすると昭和の匂いがするからこその感覚なのかもかもしれない。

 近頃はGoogleのストリートビューを使用すれば、「知~らな~い街を歩い~て~み~た~い~♪」なんてことが、自宅に居ながらにして出来てしまう。逆に、昔訪れた土地を辿って思い出に浸ることも可能となった。全く便利になったものだ。但し、言うまでもないがそれはあくまでもヴァーチャル体験にすぎない。そもそもその機能を使って路地にまで潜入することは出来ないし、「その先にあるもの」を知ること自体、果たして良いのかどうかは疑問だ。レトロや風情という言葉なんて知る由もなく、ただ無邪気に路地の迷宮で鬼ごっこやカクレンボに興じていた少年時代。「お化け屋敷」と噂された廃屋の中を探検したこともあったっけ。それは多分、あらゆることがまだ曖昧だった(かもしれない?)昭和のあの時代だったからこそ、歪な「ワンダーランド」への出入りが許されていた、或いは見て見ぬふりをされていたのではないだろうか。
 
 
子供の頃
「その路地」の曲がり角の先には、同級生のイヤ~な奴が住んでいた。個人的には正直印象のあまり良くない場所だと言える。長い長い時を経て久々に訪れてみると、変わりゆく周辺の街並みとは裏腹に、当時の趣そのままに不思議な郷愁感を醸し出していた。夕暮れ時、街燈が灯り一番星をカラスが啄む。何処からともなく夕餉の香りが漂い始める。ちょうど自分の影が路地の彼方まで伸びているようだ。吸い込まれてゆきそうになる。この「深淵」の果てに一体何があるのか? 何が待ち構えているのか? 曲がり角の先を見てみたい。蛇の腹の中で蠢いているおぼろげな記憶の出口を突き破りたい…。…い、いや、ダメだ。やっぱりやめておこう。今の時代、男性かつこの年齢である。ドラマやアニメなどのいわゆる「聖地」でもない限り、たとえ私有地でなくてもフィルムカメラ片手にこの先へ歩を進めるのはマズくはないか? 不審者のレッテルを貼られでもしたら、それこそ別の意味での「深淵」に堕ちて行きかねない。それに、何より安易に過ぎ去った時間を手繰り寄せるべきではないと思うのだ。思い出せないからこそ、「ワンダーランド」は妖しくも魅惑的なオーラを放ち続けていられるのではないか。空想の中だけにこそ、「その先にあるもの」は存在し得るに違いないのだから。

 『影の街』の少年が足を踏み入れたのは、あくまでも未知へと、即ち未来へと続く道。だから入ることを「許可」されたのだと思う。一方、筆者が後ろ髪を引かれているのは、過去へと戻る道なのだ。通りすがりにそっと眺めるだけにしておくべきだ。Googleマップの上空から、「カラスの眼」になり低空飛行なんて野暮なこともすまい(本当に?)。秘密の絆創膏を剥しても、きっとそこは未だ瘡蓋のまま。さらにその瘡蓋を恐る恐る(期待を込めて?)剥がしてみたところで意外と何も見つからず、帰る場所をまた一つ失うことになるだろう。



「路地裏の誘惑」

行くんじゃない、引き返せ。もって行かれちまうぞ。