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#1「HDリマスター版」に想ふ

 BS
放送やCS放送など、極端にチャンネル数が増えてからというもの、懐かしの映画やドラマなどが日々洪水のように流れてくる。理性の堤防を乗り越えて、或いは決壊させて流れてくる。それだけではない。二度とお目にかかれないであろうと思われていたバラエティ番組やテレビ局制作によるドキュメンタリー番組までが、河の水面を埋め尽くしている。筆者を含め、レトロ好き、昭和好きの方々には喜ばしいことであるのだが…。

 そんな中、よく目にするのが「HDリマスター版」という言葉。この数年、テレビ欄やDVDソフトのパッケージなどで頻繁に目につくようになった。映像だけではなくサウンドもリマスタリングが施され、ものによっては新録(つまりサウンドそのものをリニューアル)までされ、色褪せかけた作品が新たな商品価値を得て世に出るようになった。なるほど、見慣れていたアナログ映像と比べてみれば、その差は歴然。しかしその「歴然」すぎるところにわたしは違和感を覚えてしまうのだ。端的に言ってしまうと、デジタル復元され鮮明さを取り戻した映像の中に懐かしさを見出しにくくなってしまっている。ひとときのタイムスリップを求めて鑑賞したはずが、そこにノスタルジー色はなく、今現在の色だけが存在しているような…。そんな時、乱暴な話、いっそモノクロ処理をしてしまった方がいいのではとさえ思ってしまう。
 
 いや、そういう考えはあまりに短絡的か。ここは冷静に考えねばなるまい。その昔、リアルタイムで観た映像は、色褪せた状態ではなかったはずではないか。むしろ、リマスターされた映像の方が「本当の色」に近いのではないか。テレビや照明機器によっても色味は違ってくる。ましてや、当時の色合いなど覚えているはずもなく、正確に比べることなど今となっては無論出来るはずもない。でもこれだけは言える。少なくとも、初上映、初放送当時の映像は決して色褪せてはいなかったはずだ。ならば何故、「昔の映像=淡く鮮明さを失いつつあるもの」をイメージしてしまうのだろう。「古いもの=セピア色」。つまり刷り込みである。自分が今イメージしているのは、言わば心象風景に過ぎないということか。その心象風景こそが、例えば久々に押し入れから出して鑑賞する数十年前に録画した映画ないし、ドラマの色とシンクロしているのではないだろうか。
 
 印画紙に焼かれた昔のフィルム写真もそうだが、アナログ映像は生き物と同じで年をとるのではないか。これが初めてそれを見た時から、心の中で精神の中で少しずつ年を重ねてゆく(ただ残念なことに人と違って、成長することはなく、「年老いて衰えていく」だけなのだが)。時間と言うフィルターを通して覗いた色褪せた映像=当時観た記憶の色になってしまうのはそのせいか。
こういう見方も出来よう。枯れている紅葉を世間では色づくという。その感覚に準ずると、フィルム映像も実は色褪せていくのではなく、色づいていっているのかもしれない。だったら、どうか年月と共に変わりゆく映像を時の経つままに、そっとしておいて欲しいというのは、筆者のエゴだろうか。今の若い人たちは幼少期のアナログ映像の記憶はない。初めからデジタル化されて記録される現代には、この感覚は皆無と言っていいだろう。出会った時の記憶の色が褪せないのは贅沢なことかもしれないが、ある意味寂しいものでもある。

 補足。そうこう勝手な持論をエラそうに並べ立てて来た筆者。好きな作品の「
HDリマスター版」が放送、販売されるとついつい手を出してしまう。ファン心理とは矛盾だらけである。