「管理人室」トップへ戻る

わたしの好きな歌♪

~ひいき語りの夕べ~





 え~、歌は世につれ世は歌につれ……、何だっけ?

 時代を世界を彩った名曲の数々を独自の視点でぶった切~~~る!!!
 …なんて言うのは嘘でございます。そんな恐れ多いこと、滅相もございません。我が心に魂に脳髄に深く染みつき、離縁することの出来ない「生涯の伴侶たち(一夫多妻か)」。「伴侶」と申しましても、あくまでも小生が「贔屓」する彼女たちへの一方的片思い。つまりは、楽器の「弾き語り」ならぬ、小生のわがまま「ひいき語り」でございます。ノスタルジックな昭和の歌から、日本人には馴染み薄いワールドミュージックまで幅広く、謙虚に語らせていただきます。
 たまたま(?)本サイトを閲覧してくださった皆さまのお口に…、もとい、お耳に合うかどうか、正直自信はございません。極少数でも、本サイトで発表しておりますTACIAOのオリジナル作品群と、感覚的に共有する部分を感じ取ってくださる方がいらっしゃれば幸いです。ご興味があれば、曲のタイトルなど検索してみてくださいませ。

 尚、楽曲やアーティスト等の詳細につきましては、最小限に止めさせていただきます。既成の文献やネットの受け売りになりかねませんので…。

 貧弱な知識、稚拙な文章、どうかお許しのほどを。





#1 『ポプラ通りの家』 作詞:山川啓介 作曲/編曲:大野雄二 歌:ピーカブー

 「木綿の服をなびかせてよく笑うあの娘も 今では大人の恋をしてぼくをわすれたろうか ポプラ通り そこはいつも夢が帰るところ 時が流れ去っても あの日のぼくがいるふるさと」(一番歌詞より)

 聴く度に心が帰って行く。全ての煩悩が優しい向かい風に拭い去られ、無垢な心だけが遠い彼方へ吸い込まれて行く。その「彼方」とは果たして何処なのか…。小生に「ポプラ通り」の想い出などない。ましてや、二番の歌詞にあるような「二人の声がとぎれるのはただ口づけの時だけ」なんて、十代の頃のロマンティックな想い出なんて皆無である
なのに、小生にとって、最もノスタルジーに浸れる曲。それが、この『ポプラ通りの家』だ。
 
  1978
11月から約一年間にわたって、NHKで放送された東映動画制作によるアニメーション番組、『キャプテンフューチャー』のエンディング曲だ。ジャンルは、当時アニメでは珍しいスペース・オペラ。初放送時小学生だった小生には、変身ヒーローもロボットも出てこないSF冒険活劇は、多少の違和感があったようだ。正直ストーリーもあまり覚えてはいなかったただ、エンディング・テーマの映像だけは、心の印画紙におぼろげに焼き付いていた。少女が犬と草原を駆ける絵(余談だが、大人になってあらためて見直してみると、これがまた記憶よりも随分と小さい)。
 
 オープニング及びエンディング・テーマ、そして劇伴担当は大野雄二氏。
ジャズピアニストとして、『ルパン三世』(テレビ二作目以降)の音楽担当として、広い世代に支持されている言わずと知れた大御所だ。この『キャプテンフューチャー』のサウンドトラックは、当時のアニメのBGMとしては極めて珍しいジャズであり、今の時代においても、単独のアルバムとして耳の肥えたリスナーを満足させるクォリティを誇っていると言えよう。全編ジャズというのが、この番組のイメージを決定づけている要素であるにも関わらず、『ポプラ通りの家』は、オーソドックスなバラードである。宇宙=ジャズに対する地球という着地地点であろうか。強烈なインパクトはないかもしれないが、何とも言えない余韻を残す温かいアレンジ。甘い歌声に絡みつくようなストリングスとパープの調べが、小生にとってはこの上ない心地良さだ。
 
 十数年経って、懐かしのアニメソング集といったCDで、フルコーラス・ヴァージョンで「再会」を果たした時は静かな感動を覚えたものである。さらにそれから相当の時を経て、忘れかけた頃に今度は映像付きで「再会」した。涙が出そうになった。少しずつ色褪せてゆく現実の風景と、まるで反比例するかのように、時を重ねるほどに見たことも行ったこともない「ポプラ通り」が小生の中で色づいてゆくのが感じら
れた。
 
 想像の中で、「ポプラ通り」との距離は少しずつ縮まって行くけれど、あの少女との距離は一向に縮まらない。縮まるどころかさらに離れてゆく。見たことのないポプラ通りにたどり着いた時、遥か遠くへ少女は走り去ってしまった。「木綿の服」をなびかせて。曲の最後を締めくくる「遠く離れるほど近くなる戻れないふるさと」。顔の見えない少女こそ、誰もがもう戻ることの出来ない「ふるさと」そのものなのかもしれない。そう、少女の素顔は見るべきではないのだろう。見るべきでは…。


 時折、記憶の中の大切な人に歌い奏でてみたくなる。ピーカブーのように甘く優しくとはいかないかもしれないが・・・。



#2 『Gold Dust(ゴールド・ダスト)』  作詞/作曲/演奏/歌:Tori Amos(トーリ・エイモス

 「You can see in the dark Through the eyes of Laura Mars

 涙腺を刺激される瞬間だ。このフレーズが心の駅を通過する度、切なさで呼吸が止まる。続く「How did it go so fast~」。メロディを撫でるように息を吐く。置き去られた孤独感がノスタルジーに包まれる。ほんの数秒間のこの感覚がたまらない。 トーリ・エイモス=孤高のインテリジェンス。孤高かどうか、実際の彼女がどうなのかは別として、小生の勝手な彼女のイメージである。
 
 彼女の作品は手ごわい。あのケイト・ブッシュにも引けを取らぬほどに。知性と独創性に満ち溢れた文学チックな曲作り。彼女の織りなす緻密な言葉のタペストリーを解きほぐすには、研ぎ澄まされた感性と想像力が不可欠であろう。そして、個性的なピアノ弾き語りのパフォーマンスは、時に妖美で挑発的。世間の潮流に媚びない真のアーティスト魂には、一種の崇高美すら感じてしまう。彼女の声には独特の艶とウネリ、そして「静電気的痛み」がある。普通ならば触れると同時に手を離してしまう静電気だが、彼女の声を纏う静電気にはいつまでも触れていたい。小生にとってその極みが、この『ゴールド・ダスト』なのだ。


 スタジオ録音されたものには、2002年のオリジナルテイクと2012年にセルフカヴァーしたテイクがある。前者は控えめなエフェクトのせいもあってか、聴き手との距離がすこぶる近く感じる。それでいて、不思議とその視線は聴き手から逸れているような…。旅するようなアルバム、『スカーレッツ・ウォーク』の道の終わり。窓辺に佇み、秋から冬へと移り変わる景色に向かって「ひとり語り」しているようなイメージだ。全編を支配する哀感。言葉が途切れるたび、爪を切り過ぎた時のようなジンワリとした痛みが走る。但し、この難解とも言える歌詞の内容。日本語訳に対峙すればするほどに、作者の意図をくみ取れているかどうか自信がなくなってしまう。何とも情けない話だ。
 
 後者は、十年ほどの時を経て新録されたものだが、小生の聴く限り全体的にはさほどの変化は感じられない。異なる点と言えば、歌い回し、バックコーラス、そして聴き手との「距離感」であろうか。少し距離を置いたところから、聴き手に真正面から告白してくるようだ。静止させたままの青春の一コマ一コマを。セルフカヴァーアルバム『ゴールド・ダスト』付属
DVDにおけるこの曲での彼女の眼差しは優し気で、時折笑みすら零れる。十年もの年月は声色に深みを加え、張りつめていた空気感は若干和らいだようにも思える。彷徨える若い言葉たちは、ようやく着地点を見出せたのだろうか。重厚なストリングスが風に舞うカーテンのように、時に浅く時に深く彼女の美しい晩秋色の髪を撫でてゆく。

 歌詞に出てくる「
Laura Mars(ローラ・マーズ)」とは、1978年のアメリカ映画『Eyes Of Laura Mars(邦題=アイズ)』のヒロイン。フェイ・ダナウェイ演じる女性カメラマン、ローラ・マーズ。映画を見る限り、ローラのパーソナリティそのものが、歌詞の内容と直接関係しているとは思えない。重要なのはローラの目だ。その目に宿ってしまったすぐ先の未来(惨劇ばかりだが)を予知してしまう不思議な能力。「ローラ・マーズの目を通せば暗闇の中でも見える」と歌詞にある。まさに、暗中模索の航海を続けるこの世界において、真実を見通せる目。そして、それこそがアルバムの主人公スカーレットの心の目であり、芸術家トーリ・エイモス自身の魂の目のような気がしてならない。

 未来へ旅立った彼女の手の平から零れ落ちた「ゴールド・ダスト(=砂金)」。きっと、今は聴き手の手の平に握られている。そして、我々はいつまでも追い続ける。彼女が刻んでゆく魂の轍を。



#3 Harmony(ハーモニー)』 作詞:Bernie Taupin(バーニー・トーピン)作曲/演奏/歌:Elton John(エルトン・ジョン)

Harmony and me, we’re pretty good company Searching for an island in our boat upon the sea

 ん? 「Searching for 」だって? 「Looking for」ではなかったか? 歌詞を変えて歌っているゾ。言わずと知れたサビの部分である。学生時代、『Elton John In Central Park』という1980年のライヴのレーザーディスクを観た時のことだった。後のライヴでは元の歌詞に戻しているようだが、小生には「Searching for」の印象が今でも強く残っている。 

 二十代半ばの頃、ライヴでメジャー曲のカヴァーをやらなかった筆者が、唯一トライしたのがエルトン・ジョンだった。その一曲が『ハーモニー』。どうせやるのなら、『
僕の歌は君の歌(Your Song)』や『ライオンキング』の主題歌といった誰もが知っているメジャーな曲があるだろうと言われそうだが、あえてこの曲にした。ほとんど自己満足だ。二人組でのピアノ、アコギ、ヴォーカル、コーラスといったシンプルなものだったが、演じた者だけが感じ得る高揚感があったのは間違いない。ショボイなりにも何とか「ハーモニー」を奏でることが出来たのだ。勿論、「Looking for」でなく「Searching for」。その方が明確な意志があると感じたからかもしれない。そう大した出来でもなかったのに、我々のすぐ後の人にお褒めの言葉をもらった時は、たとえお世辞でもありがたかった。

 
エルトン・ジョン。あまりにもメジャーすぎて、今更ここで語るには「手遅れ」かもしれないが…。このサイトの基本コンセプトが、レトロ&ノスタルジー(そうとも限らなくなってきているとのご指摘も?)なので、70年代洋楽の持つ独特のノスタルジック・テイストはやはり外せまい。この二十年あまり、英語圏のアーティストから遠ざかっている小生だが、NHKの『ラジオ深夜便』、森田美由紀アンカーの紹介で70年代ポップス&ロックが流れると、つい手を止めて耳を傾けてしまう。そして、今でもピアノの鍵盤に指を置くと、ふと口ずさんでしまう。それがエルトン・ジョンだ。彼は、小生が十代の頃、同じピアノ・マンであるビリー・ジョエルと共に最も影響を受けたアーティストだった。

 彼のオリジナル・アルバムは、レコード時代から始まってほぼ所有していると思う。余談になるが、この文章を書くに当たって、久々(二、三十年ぶりだろうか)にアルバム通して聴いてみようと、CD(初CD化したもので80年代当時、二枚組で6000円もした)を棚から取り出してみたところ、保護材のスポンジが溶けて盤面に付着し悲惨なことになっていた。緊急事態発生。読み取り不能…。何てこったい! 気持ちが悪いので、つい先日(一世一代の決意をもって)、本作の「ニュー・デラックス・エディション」なるものを購入してしまった。アナログ盤から数えると三回目の購入だ。ま、その価値は十分にあるアルバムだから良しとしよう。おっと、前置きが長くなってしまった…って、もう半分くらい来てしまったか?

 
さて、『ハーモニー』が収録されている二枚組大作アルバム『黄昏のレンガ道(Goodbye Yellow Brick Road)』。1973年の発売から今日に至る長きに渡って、彼の最高傑作の地位を不動のものにしていると言っても過言ではないだろう。一貫したテーマのコンセプト・アルバムではないかもしれないが、タイトル曲『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(Goodbye Yellow Brick Road)』とジャケット・アートからくる黄色いイメージが、一本筋の通った作品世界を見事に演出している。古い映画館でフィルムで撮られた映画を観ているかのようだ。

 『ハーモニー』は、シングルカットはされてはいない(四枚目のシングルになる可能性もあった)。タイトル曲や、ライヴでのクライマックスの定番『土曜の夜は僕の生きがい(Saturday Night’s Alright For Fighting)』、『ベニー&ジェッツ(Bennie And The Jets)』に比べると、一般的な知名度は低い。しかし、この隠れた名曲の魅力、実力、求心力、侮るなかれ。

まず、注目すべきは冒頭の一発目のコード(和音)だ。イントロはなく、「Hello, Baby Hello」とマイナー調っぽく歌で入ってくる。この最初の音が肝心だ。鍵盤楽器をかじっている方はイメージ出来るかもしれないが、EbmではなくCb on Ebという分数コードなのである。もうここで勝負は半分決まったようなものだ。筆者はこの不安気な最初の音に惚れた。サビに入る時の転調からの解放感、エンディングの上昇感。しかし何と言っても、真骨頂はコーラス。つまり、「ハーモニー」である。エルトン・ジョン・バンドのディー・マレイ(Dee Murray、ベース)、ナイジェル・オルソンNigel Olsson、ギター)、そして、デイヴィー・ジョンストン(Davey Johnstone、ギター)ら三人によるバックコーラスの美しさが、この曲の可能性をマックスまで引き上げたと言ってもいい。とりわけ、高音担当のナイジェル・オルソンの存在感はこの曲に限らずピカイチである。「ハーモニー」とは女の子の名前のようだが、もしかすると、作詞家バーニー・トーピンから詞を託されたエルトンが、コーラスアレンジまでを前提に、女の子の名前とコーラスでの「調和」をダブルミーニングさせたのではないだろうか?
 
 
バーニー・トーピンがインタビュー映像の中で、『ハーモニー』を「南の島を巡っているような感じ」と振り返っていた。勝手な想像だが、アルバムのラストを飾る『ハーモニー』に至るまでの16曲は実は夢の世界の出来事であって、「Hello, Baby Hello」の語り掛けによって、我々は現実世界へと引き戻されるのかもしれない。ならば、歌詞の中の「ハーモニーと僕」は、リスナーとエルトン(&バーニー)なのか? 現実世界の海の真ん中、目覚めた我々、つまり「ハーモニー=調和」は、ラスト、短い転調を繰り返すようなコード進行の波に乗せられ、見えない螺旋を描きながら舞い上がって行く。澄み渡った青空へと…。果たして、そこにあるのは天国か? それとも…? う~む、我ながら、何て想像力豊かなんざんしょ!?
 
 
最後に、『黄昏のレンガ道』は、間違いなくポップスターとしてのエルトン・ジョンの黄金期の象徴だと言える。作品を通して付きまとう黄色いイメージ。それは、カリスマスターの彼が歩んできた輝ける「黄金の道」だけから来るものではないはずだ。熱狂のステージを降りた後、ナイーブな彼の心を覆い尽くす淡い黄昏色。その二つの黄色が重なり合った彼だけの黄色に違いない。アルバムジャケットの黄色い道の彼方(=オズ?)から漂ってくる郷愁感は、年齢を重ねれば重ねるほど深く切ないものに感じられる。果たして、「向こうの世界」へと足を踏み入れた彼は、理想の未来に辿り着くことができたのだろうか?



#4 『アテンションプリーズ』 作詞:岩谷時子 作編曲:三沢郷 歌:ザ・バーズ 

 「アテンションプリーズ アテンションプリーズ♪」

 
作曲家の三沢郷氏(1928-2007)は、この有名なフレーズからまず四小節のメロディーをコードと共に思いつき、前後を書き足して作品を完成させたという。歌のタイトルでもあるこの印象的なフレーズこそが、作品の要であることは誰の目…、いや誰の耳にも明らかだろう。しかし、小生がその部分以上に心奪われるのはこの後だ。

 「負けないで今日も入れよう この胸に熱い希望のパスポート パスポート♪」(三番歌詞より)

 
歌詞とメロディー、そしてアレンジの完璧な調和。特に三番の歌詞には涙腺が緩む。そして力が湧く。落ち込んだ気持ちで低空飛行を続けていた「オンボロ自家用機」。魂の操縦桿をグイッと持ちあげて「まだまだ」と自分を励ます。海の真ん中に堕ちてしまいそうだった機体が、今一度上昇気流に乗って行けるような気持ちになれる。「元気を出したい」というのなら、『サインはV』や『エースをねらえ!』といった同氏作曲によるスポ根系主題歌の方が効果が高そうである。私がこの曲に想いを馳せる一番の理由は、「元気」を「郷愁感」が包み込んでいるところなのだ。

 
ジェット気流の如く流麗なストリングスの煌めき。蝶が舞うかのような軽やかなフルート。終始途切れることなくハートのリズムを刻み続けるトライアングル。そして、時折翼に照り付ける陽射しのような温かなブラス音。その軌道の中心を滑空するのは、双子姉妹ならではのハーモニーとユニゾンが絶妙なユニット、ザ・バーズ。みずみずしくストレートな歌唱が胸に響く。その名の如く、まさに「鳥」だ。

 この作品は、
1970年のテレビドラマ、『アテンションプリーズ』の主題歌である。昭和20年代、30年代生まれの方なら、懐かしいと思われるのではないだろうか。残念ながら、小生は未だドラマ本編を一度も観たことがない。ちなみに、2006年に同タイトルでリメイクされているが、そちらの方は全く興味がない(当たり前だ)。

 
1970年と言えば、あの『日本万国博覧会(大阪万博)』が開催された年。ジャンボジェット機の登場と共に、世界とリアルな「つながり」を実感し始めた時期でもある。不安よりも来たるべき未来への期待で、生きる力が(少なくとも今よりは)みなぎっていたであろうあの時代。小生は、まだ物心つく前で記憶はほとんどないが、一応大阪万博は二度体験している(とのこと)。空港に旅客機を見に連れて行ってもらったことも何度かある。記憶はおぼろげでも、確かに時代の空気を感じていた。小さな胸の中に、あの時代の空気をフィルターなしで吸い込んでいたのだ。

 
ある程度年を重ねてくると、ついつい昔を懐かしんでしまうことが多くなる。あの時代だからこそ描けた「レトロな未来」の郷愁の中に身を置きたくなることがある。でも、そこに身を置いたままでは決して本当の未来はやって来ない。郷愁への誘いと未来への誘い。その両方をもたらしてくれるのが、この『アテンションプリーズ』なのだ。…う~む、どうも上手く表現できないな。この感覚は、小生の乏しい語彙では表現し尽くせない。残念だ。

 せっかくなので、ここで作曲家の三沢郷氏について簡単に触れておきたいと思う。「世界で一番尊敬する作曲家は?」と訊ねられたら、映画音楽界きっての巨匠、
Ennio Morricone(エンニオ・モリコーネ)と答えるだろうが、「一番好きな作曲家は?」と訊ねられたならば、三沢郷と答えてしまいそうだ。このお二人、奇しくも共に1928年生まれである。

 
三沢氏と世代が近い作曲家に、渡辺宙明氏、菊池俊介氏、故・渡辺岳夫氏らがいる。皆、昭和40年代から50年代を中心に、ドラマ、アニメ、特撮ものといったジャンルで一世を風靡した大御所たちだ。小生自身、彼らの大ファンである。そんな彼らに比べると、1969年に独学で作曲家に転身してから1976年にアメリカに移住するまでの間、三沢氏が国内で発表した作品は数少なく、知名度も低い。しかし、前述した『サインはV』、『エースをねらえ!』をはじめ、『デビルマン』(主題歌のみ)、アニメ版『月光仮面』など、誰でも一度は耳にしたことのある名曲の数々…、その存在感と生命力は他の大御所たちにも引けを取らない。流麗かつダイナミックなストリングスアレンジ。フォー・コインズというコーラスグループ出身だったからこその美しい声のハーモニー作り(御本人の美声も相当なものである)。アニメ『ミクロイドS』の主題歌における意表を突く捻りの効いたコード進行なんて、今聴いても十分新鮮だ。70年代の三沢音楽が醸し出す空気は「レトロ」というよりは「ノスタルジー」ではないだろうか。それに包まれる時のあの心地良さには格別なものがある。とにかく小生の「波長」に合うのである。

 
小生は、芸術家や作家の方々を「先生」と呼ぶのにどうも抵抗を感じる。何で、自分の師匠でもない人に「先生」をつけなければならないのかと。そんな、少々ひねくれた性質の小生ではあるが、もし仮に三沢氏がご存命で万が一お会いできたとすれば、一度くらいは「先生」と呼んでみたいなと思う。そんな深い憧憬を抱いてしまう存在なのだ。

 
名曲『アテンションプリーズ』。小生にとっての「応援歌」はこう締めくくられて終わる。

 
「近づけば涙で星も錆びてるの でも私は飛ぶ 私は飛ぶ 私は飛ぶの♪」

 
これからも、理想に手を伸ばしては現実を知って墜落しそうになることが幾度もあるに違いない。それでも行かなければ。飛ばなければ。あの雲の切れ間の向こうの表情の見えない未来に向かって。たとえ報われなかったとしても・・・。

【参考文献】 CD『三沢郷大全』(コロムビア COCP352856)解説書



#5Forse Basta』(映画『ペイネ 愛の世界旅行』テーマ曲、オリジナル・サウンドトラック盤より) 作曲:Ennio Morricone(エンニオ・モリコーネ) 演奏/コーラス:I Cantori Moderni(イ・カントーリ・モデルニ)& Edda Dell'Orso(エッダ・デッロルソ)

 今回は正確には歌ではない。しかし、エッダ・デッロルソとイ・カントーリ・モデルニというイタリア映画音楽には欠かせない極上のスキャット&ハーモニーがたっぷりとフューチャーされているので、是非とも「歌」として紹介させていただきたい。

 
筆者とエンニオ・モリコーネとの「出会い」は、ハッキリと記憶に残っている限りでは、小学生の頃、劇場で鑑賞した映画『オルカ』だったと思う。オープニング、女性スキャットをバックにシャチがブリーチングしているシーン。まだ小学生だった小生に、その印象的な旋律の作者がイタリア映画音楽界の巨匠、エンニオ・モリコーネであることなど知る由もない。美しい声の主が、スキャットの女王エッダ・デッロルソだということなどは尚のことだ。更に、エンディングに流れた荘厳なストリングスが奏でる哀愁の旋律。アニメや特撮の音楽しか知らないお子様のか弱きハートのツボを、熟練マッサージ師の指先の如くグイグイ押して来たのをおぼろげに覚えている。数年後中学生になり、マカロニ・ウエスタンのテーマ曲を集めたレコードやカセットテープでモリコーネと(勝手に一人で)「再会」し、その名を初めて意識することになるのだった。20代半ばにもなると、彼とエッダのタッグ作品に完全に魅了され、それまで以上に大型CDショップに足を運ぶ頻度が上がった。

 おっと、またまた前置きが長くなってしまった。 


 そんな筆者が所有しているモリコーネの
CDの中でも3本の指に入りそうなのが、この『ペイネ 愛の世界旅行』である。2000年に発売された二枚組の豪華版で、発売当初、特典として可愛らしいポストカードも付いてきた。ちなみに、数年前に発売されたDSDリマスタリング盤は、収録曲数は少し減っているものの、本編のエンディングで流れたギリシャの歌手、デミス・ルソスによる歌が収録されている。ただ、このオリジナル・サウンドトラック盤、モリコーネ自身が担当しているのはメインテーマの『Forse Basta』のみであり、その他は先述のイ・カントーリ・モデルニの創始者で作曲家でもあるアレッサンドロ・アレッサンドローニ(Alessandro Alessandroni)によるスコアである。詳しい説明は割愛するが、アレッサンドローニの作品群は、映画のタイトルそのものを表現したワールドミュージックを網羅した内容で、その音楽性の柔軟性には感心させられる。中でも「日本」を表現した曲は、日本人が作曲するそれとはビミョーな(?)差異が感じられて実に魅惑的。こちらの方だけでも一聴の価値十分な完成度の高さだ。
 
 甘く切ない極上のモリコーネ節を堪能できるメインテーマの『Forse Basta』(直訳すれば「多分十分」であろうが、ニュアンスが少々掴みにくい?)。先ほど、モリコーネ作曲の楽曲は『Forse Basta』のみだと記したが、バリエーションは実に多い。何しろ、二枚組中の一枚丸ごとが『Forse Basta』なのだから驚かされる。中でもメインのアレンジなってくるのが、映画の第一部のオープニングの三拍子、第二部のオープニングのスローな8ビート、そして、エンディングの歌と言っていいだろう。個人的には、最も抒情的で感傷的なアレンジの三拍子のヴァージョンが好きだ。戦争の映像をバックに、まるで戦火の中を逃げるように駆けて行く主役のバレンティーノとバレンティーナの二人の姿には思わず涙腺が緩む。悲惨な映像とこの上なく美しいメロディーの組み合わせ。こういった真逆のとり合わせは、場合によっては美しい映像美に美しい調べを合わせる以上の効果を生む。例えは違うかもしれないが、スイカに塩をかける(小生には出来ない)と甘みが増すというような効果だろうか。巨匠セルジオ・レオーネ監督の『夕陽のギャングたち』だってそうだ。橋の大爆破シーンや虐殺シーンで、一見それにはそぐわない様な甘美でノスタルジックな調べと艶っぽいエッダのスキャット。あの映像美はもう言葉にならないほどだ。そう言えば、小生がエンニオ・モリコーネという作曲家に完全にのめり込んで行ったきっかけが、『夕陽のギャングたち』だった。

 先述した映画のオープニングに流れているのが、「オリジナル・メイン・タイトル」ということになるのだろうが、これを超える完成度のヴァージョンがCDには収録されている。簡単に言えば、三拍子の中で「一番長い」ヴァージョンだ。主旋律のストリングスの最高音部の厚みがピカイチで、そこにエッダ・デッロルソとイ・カントーリ・モデルニが奏でるハーモニーが強めにかぶさってくる。途中二度の転調を繰り返すのだが、キーがD→C→Bbと二度ずつ下がって行くのだ。下がって行くにも関わらず、聴いているこちらには上がっているような錯覚を覚えてしまう。まるで天国への螺旋階段を回りながら上がって行くかのようだ。さらに、後半の主旋律ではない方のストリングスの響きが絶妙で、息を呑むほどに美しい。中盤最高潮に盛り上がった後、「歌」を奏でていた鳥たちは何処かへ飛び去って行き、残された弦楽器たちは地上への未練があるかのように、天国の少し下でしばらくの間停滞しながら祝福の調べを奏で、やがて静かに階段を上りつめる・・・というのが小生のイメージかもしれない。モリコーネ作品の「セレクションもの」のCDは相当数あれど、このロング・ヴァージョンは、このサウンドトラック盤でしか聴けないのではないだろうか? 小生は、個人的に「モリコーネ・マジック」の極意は、メロディー以上にアレンジだと信じて止まない。彼の頭の中にはオーケストラが入っており、作曲は紙と筆記用具だけで行われると、あるCDの解説書で読んだことがある。この曲もその神業で成し遂げられたのであろうか。この時期、すでにイタリア映画音楽界きっての売れっ子作曲家だったモリコーネは、超多忙な日々を送っている。その状況でこのクォリティ―。たまげたものだ。

 コンサート活動にも精を出して来たモリコーネ。私も2004年の東京、2005年の大阪と、会場で生のモリコーネ・サウンドを堪能した。特に2004年の時は、ポルトガル女性歌手の最高峰ドゥルス・ポンテスが帯同して来たこともあって、気持ちの高揚感は最高潮に達したものだ。市販のDVD映像でコンサートの模様は承知の上だったし、演奏曲もだいたい予想した通りだったが、モリコーネと同じ空間を共有している事実を噛みしめることが、小生にとっての最大の意義だったのだと思う。残念ながら『愛の世界旅行』は演奏されてはいない。それ以前にこの曲のライヴ演奏というものを私は知らない。一度でいいから生でこの曲を聴いてみたいという気持ちはあるが、反面演奏されなくていいという相反する気持ちもある。これは、どちらかと言うと私の好みは60年代70年代の作品に多く、当時と現在とのサウンド及びテイストに違和感が生じることを恐れるからであろう。

 アレンジも演奏技術もスケールの大きさも、近年のライヴの方がサウンドトラック盤よりも勝るかもしれない。だが、映画音楽のオリジナルは、やはりオリジナル・サウンドトラックなのだ。映像と共に心に焼き付いたあのテイストは、たとえ本人による指揮であっても二度とは再現し切れないのではないだろうか。最新の作品ならまだしも、40年、50年も昔の「音」は、少なくともその時代であればこその「音」なのだ。当時のエッダやイ・カントーリ・モデルニあってこその『ペイネ 愛の世界旅行』なのだ。いつだって、前へ前へと歩を進めなければならない作曲家、アーティストにとって、こんな自分勝手なファンは迷惑な話かもしれないが、どんな超絶演奏をもってしてもオリジナルを超えることはないと断言したい・・・いや、そこまでエラそうなことを言うのは止めた方が身のためか・・・ってもう言ってるよ!!

 好き勝手なことを並べ立ててきたが、「エンニオ・モリコーネなくして今の私は存在しない」とまで言いたくなるほどの世界最高峰のマエストロであることは間違いない。あの頃の「昭和チックな」イタリアン・テイストに憧憬と敬意を抱きつつ、今宵久々に『ペイネ 愛の世界旅行』の奇想天外なアナログ映像美にひたってみようか・・・。